適当にしますかぁ
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アイちゃん今日は那智の滝だよ
2007年09月02日 (日) | 編集 |
どうだったのユウくん?
ん~確かに日本一の滝だと思った
そんなに大きいの?
いや大きいんじゃなく荘厳さが日本一だと
そうなのそんなに神秘的なの
神秘的だろうなきっと
じゃあまずは 夕方の那智の滝
滝2

滝1

でっつぎが朝の那智の滝

朝の滝

もう少し近くで撮らなかったのユウくん
焦らない焦らないアイちゃん どの場所がいいか判断してたんだ
じゃあ次は那智大社だよ

那智大社

那智大社2

那智大社

でっ最後は塔と滝のダブルだよ
塔と滝

今日はここまでだよアイちゃん
これで滝の写真終わりなの?
アイちゃんまだまだあるよ接近したのがね
じゃあこの辺で ホナ
テーマ:写真日記
ジャンル:日記
アイちゃんやっと夏休みだぁ
2007年08月12日 (日) | 編集 |
しかし暑すぎてバテ気味だぁ
ユウくん昼間道歩いていたらムッとこない もう暑すぎるわぁ
仕方ないよねアイちゃん夏だもん
しかしこう暑いと俺も屋外での活動が止まるどぉ
ま~こういうときは前に撮っていたもので載せるかぁ
でどこまでいっていたかなぁサボっていたから忘れた
そうだ長良川鉄道に行った時の写真だったな
じゃあ続きだよ ほな
駅1

駅3

駅2

駅4

駅5

駅6

駅7

駅8

ナンか鉄ちゃんみたいねユウくん
ん~俺はそんなにマニアじゃないよ ただ雰囲気のいい場所をとるため
鉄道を利用しているだけ なんせ車だと何処に良い雰囲気のある場所があるか解らないやっぱ歩いて探さないと雰囲気はだせないなぁ
ってことで今日はこの辺でホナ
アイちゃんバテ気味だよなんとかならんかなぁ
2007年04月22日 (日) | 編集 |
アイちゃんもうすぐゴールデンウィークなのに予定がないし何とか考えないといけないなぁ
もう決めておかないと日にちがないわよユウくん
んーアイちゃん相手してぇ
嫌よ私は予定がいっぱいよ
そうか何とかしてみつけようっと
ところでアイちゃん銃犯罪が多発してるね
そうねアメリカでも大学で沢山のひとが犠牲になったわね
俺が思うに孤立して自暴自棄になり犯罪にはしった様な気がする
そうかもねユウくん
孤立しうつ状態になれば誰でもおかしくなる これからの世の中は心の問題が物凄く大きくなってくるかも
ってことで心の病は重要ってことでホナスタート

生きることに疲れた人は自分から行動を起こせない
セリグマンはうつの中心的症状として、「受動性」「消極的見通し」「無力感」の三つをあげている。
その一つ一つについて考えて生きたい。
セリグマンはうつ病の中心的症状として受動性をあげている。
「一つの戸が閉まれば別の戸が開くといっても、黙って待っていたのでは別のとは開かない。
しかしうつ病になるような人や生きることに疲れた人は、別の戸をこじ開ける気力がない。
ドアを自分で開けようとする人もいれば、誰かがドアを開けてくれるのを待っている人もいる。
自分できに登ってリンゴを取ろうとする人もいれば、リンゴが木から落ちてくるのを待っている人もいる。
生きることに疲れた人は待っている。うつ病者も待つ人である。
しかし怠け者だから待っているのとは違う。逆に頑張りすぎて、もう自分で木に登ってリンゴを取るエネルギーが残っていないのである。
あるいは取ってもらうのが嬉しいのである。リンゴそのものが欲しいのではなく、人が自分のために何かをしてくれるのが嬉しいのである。
それは愛を求めているからである。
うつ病になるような人、つまり生きることに疲れた人は、人から何かをしてもらう事ばかりを考える。
人に笑顔を求めるが、自分が笑顔で接する事は考えない。
生は自分から行動を起こさない。生きることに疲れた人は、「誰か俺を何とかしてくれ」と叫んでいるのである。
テーマ:
ジャンル:日記
アイちゃん痛かったどぉ
2007年03月07日 (水) | 編集 |
どうかしたのユウくん?
いやぁそれがね仕事中ヨソ事考えていたら手を怪我してしまった
何考えていたの?
それはね前妻が何で今頃俺の実印を送ってきたのか考えていたんだ
ユウくん直接聞けばいいじゃない
それができれば苦労はしないよ なんか声聞くだけでも怖くてだめだ
そんなに怖い人だったの?
それが違うんだ別れる2年前まではホント優しかった、でもその2年で女の人がこんなに怖いと思わなかった
ユウくん浮気したんでしょう?
いや浮気はしなかったけど飲みには行ったねオネエチャンの居る所に、でも男なら普通だけどなぁ
それが気に入らなかったんじゃないの
いやアイちゃんそれぐらいじゃ別れないよ
じゃあ何なの?
俺達の場合どちらも信じられなくなったのが原因だよ
お互いが信じあえなくなったら夫婦じゃなもんねユウくん
そうアイちゃんの言う通り俺は形だけの夫婦なんてまっぴらゴメンだもんね ってことで心の病スタート

生きるエネルギーを回復すれば世界は違って見える。
周囲の人の中にはあなたを励まそうとして、「あなたはこんなにいろいろの仕事をしてきた、あなたはこんなに頑張ってきた、だから貴方は自分に誇りを持てるでしょう」と言う。
確かに一般的な基準から見ればあなたは長いこと頑張って仕事をしてきた。
会社でも仮定でもいろいろな責任を立派に果たしてきた。
あなたが自分に誇りを持つのは当たり前である。
しかし、貴方は自分に誇りを持っていない。周囲の人から見れば、あなたが自分に誇りを持っていないのは不思議である。
問題はあなたがしてきた仕事の質と量ではない、あなたが果たしてきた責任の重さではない、背負ってきた負担の重さではない。
あなたが果たしてきた、あるいは果たしつつある責任は重い。あなたは一般の人よりも社会に貢献してきた。
でも生きることに疲れたあなたはその自分に今誇りをもてない。
周囲から、「こんなしてきて、凄いじゃないか、誇りに思わないの?」といわれても誇りに思えない。
それはあなたが誇りに感じる心の能力をすでに失っているからである。
普通の人が貴方と同じだけの仕事をしたら自分を誇りに思う。
しかし同じことをしても、あるいはそれ以上のことをしてもあなたは自分に誇りを感じない。
それが生きることに疲れたという事である。あまりにも長い間ストレスに耐えて頑張っているうちに、喜びも楽しみも誇りも何も感じられなくなってしまったのである。
だから生きることに疲れたあなたは、自分についての事実を変えようとするよりも、あなたの心を変えようとすることである。
生きることに疲れたときと、生きるエネルギーを回復した時では、世界は違って見える。
周囲の人も違って見える。自分自身も違って感じられる。
テーマ:
ジャンル:日記
アイちゃんお鍋が食べたいどぉ
2007年01月28日 (日) | 編集 |
ユウくん食べればいいじゃない
それが美味しくないだよねぇ アイちゃん
美味しいお鍋食べに行けばいいじゃない
だから美味しく感じられないだよ
どうしてなのユウくん?
アイちゃん料理はみんなで食べるから美味しいだよ 独りで鍋なんか食べたって美味しくもなんともない
そうかもねユウくんだったら美味しく感じられる人と食べに行ったら?
でもね俺が一番美味しく感じられるのはアイちゃんと一緒に食べに行った時だけだよ
じゃあ一番高い料理食べに連れてってもらうわね
アイちゃんじゃあ料理とアッチもね
何言ってるのユウくん私を食べる人はちゃんといるわよ
やっぱ無理だったか 残念ヽ(∂o∂ヽ)Ξ(/∂o∂)/ えーン
てことでほな心の病スタート

周囲の人に迷惑かけても、とにかく休もう
生きることに疲れたあなたは今まで頑張りすぎた。頑張り過ぎなければ生きることに疲れることはない。
生きることに疲れたあなたは、いま休んでよい。自分の心も体も休ませてあげる。
自分の心も体も休ませてあげる。自分の心も体もやさしくいたわってあげる。
今は「自分に優しく、無理をしない」という事である。今休む事で周囲の人に迷惑をかけることを気にしているかもしれない。
しかし今あなたは休んでよい。心身ともに元気になったらその分頑張ればいい。
今はもうこれ以上頑張る必要はない。周囲の人からの悪評を恐れる事はない。もう周囲の人から好かれる必要はない。
今は静かに休むことである。「こんな日は久しぶりだな」と思うような日を送る事である。
今あなたが静かに休むことであなたを蔑視する人がいれば、その人はあなたが頑張っているときには、あなたから搾取する人である。
そんな人と関係が切れてよかったと思うことが貴方のためになる。
あなたが頑張っていれば、そういう人はあなたから搾取し続ける。あなたを利用し続ける。
あなたは疲れ、その人は元気になって豊かになり続ける。すきっぷ2

テーマ:
ジャンル:日記
アイちゃんこの頃俺変だ
2007年01月18日 (木) | 編集 |
何が変なのユウくん?
俺今日何があったかニュースを見るのが日課なんだけどこの頃ニュースを見ると殺人事件ばかり聞いているから物凄く気持ちが悪くなってくる
そう聞くのも嫌になるよねユウくん
そうだよもっと明るい話題はないのかほんとに独り暮らしには毒だどぉ
ってことで心の病スタート

私はどうしていつもこのような目に合わさなくてはならないのですか」
イソップ物語ふうに考えてみると人間の愚かさがよく分かるので、イソップ物語風に考えてみたい。
「私を認めて欲しい」といつも思っているうさぎがいました。
今日も何をしていいのか分からないウサギは、サルと羊に誘われるままに同じように歩き出しました。
道中、サルと羊と同じような気分になれることで楽しい時もありました。
ところが道が二つ分かれるところで、サルが、「この先から、私はこちらの道に行きます。この先に私の大好物の果物の木がありますから」
といって別れていきました。
ウサギは突然な事でどうしらいいのか分からなくなりました。
ウサギは突然な事でどうしたらいいのか分からなくなりました。でも自分には羊がいると思うと少し安心しました。
しばらくすると夕方になりました。羊は「ウサギさんはどこまで行くのですか?私はこの野原でしばらく休みます。
もうしばらくすると友達が来ますからその友達と美味しい草の生えている草原に向かいます」とウサギに言いました。
ウサギは、またまた突然言われて驚きました。自分はこの道を選んだのはサルと羊がいたからです。
どんどん日が落ちて当たりは暗黒の闇になってしまいました。
誰もいない草原でウサギは星に向かって言いました。「私はどうしていつもこのような目にあわなくてはならないのですか?」
友達が大学に行くから自分もいこうと考える。そしてなんとなく大学に行く。
親が有名な会社に行けというからその気になる。皆が偏差値の高い大学がよいというからその気になって、努力する。
でも年をとって機がついたら周りに誰もいない。生きることに疲れた自分は何がしたいかも分からない。
生きることに疲れたときに初めて気がつく。有名大学を卒業したという事で得意になっていたり、大きな会社に入れたと考えて安心していた自分は何だろうと。
「私はどうしていつもこのような目にあわなくてはならないのですか」という質問の答えは、「自分はこう生きよう」とかんがえることがなかったからである。
人に認めてもらいたいという事ばかりに機を取られて生きてきたからである。
ウサギは今日はとにかくゆっくりと眠る事である
テーマ:
ジャンル:日記
アイちゃん今日はイブだよ
2006年12月24日 (日) | 編集 |
クリスマス

アイちゃんなんかおくれ
いやだ
じゃあ体だけでもいいから
ユウくん余計いやよ
そこをなんとかアイちゃん
他の人を探してよ
何今頃から無理だよぉ
じゃあ諦めなさいユウくん
あ~神様来年こそクリスマスプレゼントがありますように!
アイちゃん疲れ気味なのでこれだけ
2006年11月19日 (日) | 編集 |
心理的にいえば、うつ病になる人は崖っぷちで頑張って縄跳びをしているようなものである。
普通の人は縄跳びをしていれば楽しい。
外から見えるのはうつ病者であろうと、普通の人であろうと縄跳びをしているということだけである。
縄を回しながら飛び跳ねているのだから、外から見れば楽しく見えて不思議でない。
しか幼児的願望を満たしてくれなかった親
しうつ病者は落ちれば死ぬという崖っぷちで、いま落ちるか落ちないかという危険の中で縄跳びをしている。
うつ病者は幼児的願望が満たされていない。周囲の人から愛されて成長していないからである。
周囲の人から愛されていないどころか、周囲の人は、うつ病者が感情を表現できなくて言いなりになることをいいことに、負担を押し付けてきた。皆で利用してきたのである。
うつ病になるような人は、不当に押し付けられた負担に抗議できない。淋しくて周囲の人から好意がほしいからである。
抗議できないから、こころのそこで周囲に恨みをもつ。
うつ病者はその憎しみを表現できないままどうにもならなくなっているのである。
彼らは実際には動くことが出来ない。何度もいうように、憎しみを持つ相手から愛を求めているからである。
親はうつ病になるような従順な子供の幼児的願望を満たしてやらないばかりか、
逆に自分の感情のはけ口としてその子供を利用してきた。
だからうつ病になる人は親をはじめ周囲に恨みを持っている。しかしその恨みを表現できない。
もしその憎しみを何らかの形で表現できれば、うつ病者もうつ病にならなくて済んだのである。
しかしうつ病者は逆に周囲の人にいい顔をしてしまっている。
だから長年の憎しみが心の底に根雪となって凍りついている。憎しみが心の底にあれば、何をしても楽しくはないのは当然であろう。
うつ病者になるような人は楽しむ能力に欠如している。生きることが楽しくなるためには憎しみを取らなければならない。
根雪のように心の底に凍りついた憎しみを取り去らなければ、彼らは何を得ても喜べない。
長年にわたって憎しみを心の底に堆積させた人は、他人の苦しみだけが喜びになる。
テーマ:つぶやき
ジャンル:日記
アイちゃんシンドイど~
2006年11月08日 (水) | 編集 |
どうしてしんどいのユウくん?
残業が長すぎる4時間までにしてほしいよまったく毎日毎日4時間以上だから嫌になるわ
きついところね
そうだよ2時間までならガマンできるけど無理だわほんと
てことできょうも続き行きますか
ホナスタート

幸福へのターニングポイント
いまあなたは生きることに疲れてしまった。今までの生き方が愚かな生き方だと分かった。
生きることに疲れるという代償を払って、今までの自分の人生を理解したのである。
幼児的願望が満たされていないのは、貴方の責任でない。
また不運にも、誰も「ああいう人と付き合ってはいけないよ」と教えてくれなかった。
生きることに疲れたときは、まさにあなたの生き方を変えるときである。
生きることに疲れたときは、幸運へのターニングポイントである。
生きることに疲れたときはあなたの人生の節目なのである。
節目があるから竹は先に伸びて行ける。生きることに疲れたあなたは、いま誰に会いたいか?
もし会いたい人がいれば、その人がこれからの人生をともに歩む友人である。
もし誰にも会いたくないならば、じつはいままであなたは嫌いな人につくしていきてきたのである。
あなたの周りには誠実な人はいなかったのだろう。
生きることに疲れたとき、それはあなた自身が自らをわかるときであり、周囲の人がどういう人であるか分かる時である。
あなたがあなたの人生を理解する時である。無理をして生きているときには、あなたはあなた自身も周囲の人も分からない。
それは人間関係を間違える時でもある。生きることに疲れたときに、初めて誰を大切にして生きていったらいいかが分かる。
うつ病者はあまりにも真面目に合理的に生きてきすぎた。そうしたことを価値があると思いすぎた。
だからエネルギーがなくなってしまったのである。
エネルギーのある人は、朝、花に水をかけるその水のかかった花をを見て、朝だなーと思う。
そして「朝だ、朝だーよ」と歌いたくなる。
生きるエネルギーに満ちている人は、その水のかかった花や葉をみて、花や葉が「おいしい、おいしい」と水を吸っていると思う。
近代合理主義の世界にいきるところにエネルギーの供給源があるのではない。
人間の生きるエネルギー源は、非合理的な感情の中にある
テーマ:
ジャンル:日記
アイちゃん今日はなぜ明るくするのかだよ
2006年10月09日 (月) | 編集 |
どう言う意味なのユウくん?
どんなに辛くても明るくしていないと後が大変っていうことだよ
まだ分んないんだけど
読めば分かるよアイちゃん
じゃあいきますか ホナスタート

自分の不幸を嘆く人の周りには人は集まらない
うつ病になるような人や神経病的傾向の強い人に、周囲の人は長い間には大抵嫌気がさす。
それは彼らが周囲の人に比べて経済的に恵まれているのに、何を言っても不運を嘆き、生きる事の苦しさを言っているからである。
つまり彼らは何事についてもマイナスの発想である。お金に困っているわけでもなければ、怪我をしているわけでもない。
失恋しているわけでもない。うつ病になるような人や神経病的傾向の強い人は、それなのにいつも「私は不幸だ」と自分の人生を
嘆いている毎日「辛い」といっている。そして何も言わなくても「辛い」という雰囲気を出している。
時には自分は一番不幸と言っている。しかし、病気になって入院しているわけではない。
いや、それどころか普通の人より肉体的には健康である。そこで相談にのっている周囲の人は、嘆いている人に嫌気がさしてくる。
そうして人々はうつ病になるような人や神経症的傾向の強い人から去っていく。
「辛い、辛い」と嘆いている人から、人は去っていく。それは大人でも幼児でも同じである。
「辛い良ー」というよう字からは、次の遊びの時に、他の子は「やだー」と逃げて行く。
不幸は感染する。隣の人も不愉快になる。不幸な人の部屋の空気は暗くなる。まわりも気が落ち込む。
だから不幸な人の周りには人が集まらない。そしてそれまでいた人が去っていく。不幸な人は不幸を呼ぶ。
教授が暗い顔をしてすごい話をしても、学生は覚えていない。学生の頭に入らない。
うつ病の人の言葉は翻訳して理解する
しかし、うつ病になるような人や神経症的傾向の強い人の気持ちからいえば、何も綺麗な家を望んでいるのではない。
だから「お前はこんな綺麗な家があるではないか」と言う言い方は、彼らにしてみれば何の意味もないのである。
彼らが望んでいるのは「辛いわねー」と言う同情と、それに耐えているあなたは、「偉いわねー」と言う賞賛の言葉なのである。
うつ病になるような人や神経症的傾向の強い人は「認めてもらいたい」のである。
認めてもらいたいのに、「何もお金に困っていないのに」と周囲の人は言うから、「何も私の事を分かっていない」と言う言葉になる。
彼らは愛情飢餓感が強いから愛情を人以上に緊急に求めているだけである
うつ病になるような人や神経症的傾向の強い人は、お金を欲しがっているのではない。
「あなたは凄い」と言う社会的承認を求めているのである。
うつ病になるような人や神経症的傾向の強い人の「生きるのが辛い」と言う言葉は、もっと私を認めてほしい」と言う意味である。
うつ病になるような人や神経症的傾向の強い人と、心理的健康な人の間の会話には通訳がいる。
実は日本語から日本語への通訳の方が、外国語への通訳よりも日常生活では大切なのである。
外国語は通訳しなければ、お互い分かっていないと認識する。しかし日本語から日本語への通訳がないときには、
お互い分かっていないのに分かっていると思っている。
もし日本語から日本語へ正しく通訳できる人がいれば、世の中の人間関係のイザコザは半分以上なくなっているだろう。・・・つづく
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