適当にしますかぁ
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アイちゃん正月ボケが取れんどぉ
2007年01月07日 (日) | 編集 |
ユウくんまだ正月気分でいるの?
そうこのまま永遠に休みだったらいいのになぁ
ユウくんそのままだったら豚みたいになるわよ
そうかスリムでいるには動かないといかんわなぁ
てことで心の病いきますか
ホナスタート

他人に思いやりがもてない
うつ病者はさらに罪悪感に苦しむ。
「患者は彼の存在が彼の当為に対して恥ずべき事である事を。うつ病者という拡大しゆがめる虫眼鏡の下で見出すのである。」
この点が自己実現している人とうつ病者の決定的な違いである。自己実現している人は、自己実現の研究者マズローによれば、実現をありのままに受け止めるという。
自分という存在は。「この存在と当為との間の隔たりはあたかも深淵のように体験され、経験される」。
当為と存在の緊張は、「うつ病 この生の引き潮によってあらわになる」。
うつ病が原因であって、存在と当為との間の緊張がうつ病の原因ではない。
引き潮で暗礁が現れても、引き潮の原因が暗礁ではないと実存分析のフランクルは言う。
うつ病とは生の引き潮の事である。引き潮が進むにつれて暗礁は大きくなる。
生命力に満ち溢れている人には、この「存在と当為の」暗礁はまったくないといっていいほど表れない。
しかし表れないからといって良心がないわけではない。
「存在と当為の」暗礁に苦しむ鬱病者よりも、はるかに他人への思いやりはある。
うつ病者は自分の心の葛藤で精一杯であるから、他人への思いやりなどない。
それに比べて生命力のある人々は他人への暖かい思いやりを持って生きている。
他人の心の井谷に無関心でいられない。生命力のある人々は自己執着の強いうつ病者に比べれば、心理的には無の状態に近い。
自分のことよりも他人のことを考える。しかもそれらの行動が義務感でなく温かい愛情から出ているのである。
「あるべき自分」と「現実の自分」の乖離には悩まないが人々とのコミュニケーションが出来、他人と一緒に楽しく生きられる。
生命力低下自体の生み出すものは、まさに漠然とした不全感情に過ぎないのであるが、この病気に見舞われた当の人間、ただはらを射抜かれた猛獣はい逃げるばかりでなく、その不全感を彼の良心、彼の神に対する罪として体験する」
元気を出せは生きる気力を奪う言葉
うつ病を生命力の低下と理解できないと、うつ病者に接する態度を間違える。
例えば普通の人はうつ病になるような人に接すると「元気出せよ」となってしまう。
罪悪感に苦しみ、生命力の低下した人にこの言葉はきつい。
いよいよ生きる気力を失わせる。うつ病になるような人は生命力が低下しているから、何かを要求される事が辛いのである。
もう何十年も「元気を出さなければ」と義務感で「元気」を装ってきた。そうしてきを張っているのが限界になったのである。
そこにはさらに周囲の人から「元気出せよ」などといわれたら、いよいよ生きる気力がなくなる。
いよいよ死にたくなるのは当たり前である。
生命力の低下した人には、生命力の高揚した人の生活様式や価値観や言動はきついのである。
だから生命力の豊かな善意の言動が、いよいよ生命力の低下した人を追い込んでしまう。
生命力に豊かな人は生命力の低下した人の心の傷に塩を塗るような事をよくする。
塩を塗って治ればよいが実際には傷口を広げるだけで、治療効果がないばかりか、傷を悪化させる。
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