適当にしますかぁ
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アイちゃん俺はなんで負担を押し付けられるのか
2006年11月05日 (日) | 編集 |
どうかしたのユウくん?
新しい会社にはいったばかりだというのに俺に仕事の改善を俺から上司に言って欲しい言ってきた。
それでそうするの?
言わないわけいかないけど又たぶん失職して仕事を探す事になりそうだよまったく責任を押し付けるのもいい加減にして欲しい
また倒れるかもしれないじゃないか
どうしてくれんだほんとにあ~しんどぉ
ってことで今日も書きましたので御暇なら読んでね!
ホナスタート

「惨め中毒に」にかかっている人たち
しかし生きることに疲れた人の中には、こうして憎しみの感情を吐き出すことすらできなかった人が多い。
安易に正義を叫んで市民運動などに参加できない人たちである。
生きることに疲れた人はストレートに憎しみの感情を晴らすことができないし、身代わりをえらんで憎しみの感情を晴らすこともできない。
犯罪という形で心の底の憎しみを外に出すこともしない。愛されたくて頑張って、無理をして、そして消耗した。
そこで生きることに疲れた人は、憎しみをまったく違った言葉で吐き出しているのいるのである。
そこで生きることに疲れた人は、まったく違った言葉で吐き出しているのである。
だから周囲から見れば惨めではないのに、彼らは惨めさを誇示するのである。
「なぐさめ中毒」と言う言葉が英語にある。アルコール中毒の人がいつもアルコールを飲んでいなければいられないように、彼らはいつも自分の惨めさを誇示していなければ生きていられないのである。
自分はいかに周囲の人から酷い目にあわされたか、いかに思い負担を不当に背負わされているか、いかに皆から不公平を扱われたかなどを延々と話していなければ生きていられない。それは何故か?それは、惨め中毒の人は、自分の心の底にたまった憎しみの感情をどうにもできないからである。その心底に堆積した憎しみの感情を、惨めさを誇示することで吐き出さないではいられないのである。
それが惨め中毒である。生きることに疲れた人は惨め中毒にかかっている。
消耗しているのが周囲の人の目に見える。いかにも疲れてやつれている。だから周囲の人も貴方と一緒に居たいとは思わない。
自分の失敗をありのままに話す
だから生きることに疲れたうつ病者は、何よりもいま自分の経験を人に話すことである。うつ病者は自分の失敗の経験を話すことである。
それを話せる人を探すことである。もし見つからなければ日記でもなんでもいい。安全な所に吐き出すことである。
人に認めてもらうために無理したことを素直に話すことである。生きることに疲れた人は、心の底ににたまった恨み辛みのすべてを吐き出すことである。そうすればきっと幸せが手に入る。それで生きるエネルギーが戻ってくる。
「自分はこの時にこう感じていてけれども、そう思うのが怖かった」とか、「好かれたいからこうしたけれども、本当はするのが嫌だった」
とか、「そのうちに何もかもが億劫になった」とか、自分の失敗のありのままに話すことで、自分を出すのである。
そして生きることに疲れたうつ病者ににとって大切なのは、自分のいままでの生き様をを信じることである。
失敗したことは恥ではない。それを肥やしにして幸せを手に入れるのである。「私はこうして生きてきた」、それでいいのである。
人が失敗するのに失敗するだけの理由があって失敗しているのである。しかしあなたは何も好き好んで愚かな生き方をしてきたのではない。止むに止まれぬ心の必要性から愚かな生き方をしてきたのである。
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