適当にしますかぁ
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アイちゃん必要なものってなんと思う
2006年10月22日 (日) | 編集 |
アイちゃん心の病に必要なことだよ
なんだろう?
それは愛だよアイちゃん
ユウくんの場合物凄く嫌らしく感じるんだけど!
ま~あ仕方ないわな男だから
ってことで真面目な方にいきますか
ホナスタート

不幸は偽装された憎しみ
不幸は偽装された憎しみである。彼らは自分が不幸である事で憎しみを晴らしているのである。
不幸にしがみついている人は、不幸になるより他に憎しみの感情を表現する方法が分からないのである。
したがって周囲の人に憎しみがある以上、そう簡単にしあわせになれない。
周囲に自分が不幸であることを誇示する事で、憎しみの感情のはけ口を見つけているのである。
不幸は憎しみの表現方法なのである。だから「私は不幸です」と訴えることで、憎しみで傷ついた心が癒される。
「私は不幸です」と訴え続けている人は、生きる根元を忘れて、恨みを晴らすことで生きている。
「私は不幸です」と言うことは「私は悔しい」と言う意味でもある。
もちろん憎しみをこめて「悔しい!」と実際に口に出す人はうつ病になどならない。
周囲を実際に攻撃して恨みを晴らせばそこで終りである。
周囲に向かって「私は悔しい」とか、私はあなたが憎らしい」とか言えない人が、「憎らしいと」言う変わりに「私は不幸です」というである。
それが相手と対立しないで憎しみを晴らす方法なのである。
幼児的願望が満たされず、愛情飢餓感が強い人は相手と対立できない。
相手が憎らしい。しかし相手に愛着もあるので、「私はあなたが憎らしい」とは言えない」。
そうした時に「私は不幸だ」と言うのである。「私は太っているから不幸」と言う人がいる。
そういう人は別に太っていることを解決する意思はないし、太っているから不幸とは本当は思っていない。
それなのに「あなたは太っていない」とトンチンカンな慰め方をする人がいる。
中には「食べる量を少し減らしたら」などと言う解決策までいう人がいる。
環境に恵まれているのに「私は不幸」と惨めな声を出すのは、他人が悪いと思っているからである。
自分の不幸を人のせいにしている。相手に何とかしてくれと訴えている。
「不幸」は「愛して欲しい」と言う心の叫び
人が文句を言うのは愛を求めているからである。「私辛い!」「私は不幸だ!」は、「私を愛して!」という意味である。
「私を愛してくれないあなたが憎らしい」といういう意味である。
「私は不幸」ということは「私をもっと愛してくれ」という心の叫びなのである。
しかし周囲の人は、「あなたはこんなに色々なものを持っているではないか」と言う。「あなたは錦を着ているではないか」と言う。
彼らは「私をもっと愛してくれ」という愛の叫びが聞き届けられないので、ますます不愉快になり、いよいよ不幸を誇張する。
彼らは人生に、あるいは周囲の世界に復讐的になっている。しかも彼らは自分が周囲に復讐的になっていることを意識していない。
「水の見て笑う人あり,錦を着て憂える人あり」と言う言葉がある。
なぜ多くの人は水を飲みて笑う人になれないのだろうか?それはその人が愛を求めているからである。
愛に満たされた人は「水を飲みて笑う人」になり、愛に満たされない人は「錦を着て憂える人」になる。
この世の中には、巨万の富を荷埋もれて不幸な人が数限りなくいることを人々は知っている。
みな小さい頃に愛されなかった人々である。そして愛されなかったことに恨みを持って、絶えず人々を責めている。
だから、少しくらい快適な環境を与えられたくらいでは、なかなか「私は幸せ」とはいえない。
そういったらもう愛を求められなくなる気がするからである。
彼らは快適な環境よりも相手からの愛を感じたい。だから「私は不幸」と惨めな声を出しながら、相手を責める。
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テーマ:正直しんどい。
ジャンル:日記
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