適当にしますかぁ
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アイちゃんナンか誤解しているひとがいる
2006年09月28日 (木) | 編集 |
ナンなのユウくん?
うつ病の原因は本人の考えが甘く幼稚だからなるって思っている人がいるけどちゃんと読んでよねそんな事だけでなるとは書いていないからね
ホント嫌になるなぁ
ユウくんそうなの?
そうなのまだまだ1回の表バッター1番の打席だよ 早合点したらダメだからね ホナスタート

生きることに疲れたら、休めばいい
人生を山にたとえるなら、同じように山を越えているように見えても、それぞれは全く違った山を越えているのである。
ある人は、その山を越えた時に大事業を成し遂げたかもしれない。それは毒蛇が現れ、嵐に襲われる中を越えたのである。
「良くここまでたどり着いた」というほどの苦しさなのである。
しかし、同じように見える山でも、ある人にとってはお花畑を晴天の日に散歩しながら超える。
外側から見れば「親子の役割逆転」をしている親子関係も、そうでない親子関係も同じように見える。
片方は搾取に耐え、殺される事なく頑張って生き延びたのである。
普通ならノイローゼになって自滅してもよい環境の中で生き延びたのである。
それは「生き延びた」というだけでものすごいことである。つまり今生きているということ自体が奇跡といえるほどだ。
その人は自分を守りぬいたのである。あらゆる破壊と闘い、自分を守りぬいたのである。
生きることに疲れるのは当たり前である。それは偉大な人生である。
不幸な星のもとに生まれた人は生きているだけで偉大なのである。
生きることに疲れたあなたは、もう何をするエネルギーも残っていない、生きることに疲れたあなたに必要なのは休むことである。
そして休んでいる時に「こんなことをしていられない」と焦る必要はない。
生きることに疲れてあなたは、今こうして生きているというだけで偉大なのである。
よく、ここまで犯罪を犯さず、自殺しないで頑張って生き延びてきた。
あなたと同じ環境に生まれて、心の傷を癒すために犯罪を犯した人はたくさんいる。
今こうして疲れて生きていることは、そのことだけで立派なことである。
心の病弱な人は生きているだけで偉い
しかし、非抑制型の人で親から愛された人は、生きているということは当たり前のことであり偉大なことでも何でもない。
社会のために尽くし、人のために働き、自分のことを後にして人のことから先にしても、それはある視点から見れば大したことではない
当たり前のことである。同じ生きていてもその価値は天と地ほどの違いがある。
もちろん社会的に見れば社会に貢献した人は偉大な人である。
人は「病弱な子」というと案外簡単に理解する。しかし病弱に生まれるというのは、体のことばかりではない。
心についても同じように病弱に生まれる子がいる。
心の病弱なことして生まれた人は、今自分が社会的にまともに生きている事は「とてつもない事」なのだと評価していい。
生きることに疲れたあなたは、自分が偉大なことを成し遂げているのだと気がついてほしい。
死んで当たり前なのに生きているのである。
死んで当たり前の人が生きているのと、生きているのが当たり前の人が生きているのとは違う
死んで当たり前の人は生きていることだけで価値がある。
大切な事は小さい頃から心を搾取された人が、今自分が生きているということの偉大さに気づくことである。
本当に努力した人は、本当の自信を持つ。外の困難と闘う人と自分の内側の幽霊と闘わなければならない人がいる。
自らの心の傷と生涯をかけて闘わなければならない人間もいる。
出来上がったニューロンのネットワークで外の敵と闘っている人と、出来上がったニューロンのネットワークを作り替えるために闘わなければならない人とがいる。自分の脳を変えなければ、まともに生きていけないひとがいる。
授かった自分の命で、外敵と闘っている人と出来上がった自分を変えるために闘っている人がいる。
闘うことそのことが意味のある人もいれば、勝つことの意味のある人もいる。
「子供の頃、誰も自分を守ってくれなかった」
自分の周囲の人が自分のことを思って行動してくれた体験がないまま育てば、その人は人の好意をなかなか信じられない。
大人になって人が自分のことを考えて行動してくれても、それを好意と感じ取ることは難しい。
それが人を信じることができないということである。「こうしたら子供が満足するだろう」と考えて行動する母親がいる。
そうした母親を持った子供は、大人になって人の好意を信じることができるだろう。
しかし一度としてそのような体験が無く育った人は人の好意が信じられない。
子供の頃、誰かが自分のことを守ってくれた体験を持つ者と、自分で自分を守る方法がなかった子供とでは大人になってからのものの
感じ方が違う。一日を生きるエネルギーが違う。
誰かが自分のことを守ってくれた体験を持つ者は安心感を持って生きられる。
そうでない者は不安に怯えながら緊張して生きる。ただ生きているだけでエネルギーを消耗する。
生きることに疲れた人はこのタイプである。・・・・つづく
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