適当にしますかぁ
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アイちゃん心の本心をついてるでしょう!
2006年09月25日 (月) | 編集 |
ユウくんなんかグサッと来るね
だから投稿してるだよ こんな本心をついてる本もあるよってことでね!それと機密コメントしてくれた人お名前は出しませんよチャント読んでいますからね!
ンじゃあ続きいきましょうかね ホナスタート

なぜ、相手の不機嫌に怯えるのか
親が子供に甘えるのは、親子の役割逆転である。子供は親の甘えの要求を満たさなければ責められる。
この場合子供は完全に甘えの要求を否定されている。「親子の役割逆転」とは子供の研究家としての名高いボールビーの言葉である。
「親子の役割逆転」をして育った人は、人の好意を怖くて断れない。
大人になってもその感情的記憶は残っている。
大人になって、いくら「食べられない時には、残しても責められない」と自分に言い聞かせても、やはり残すのは怖い。
今目の前に居る人は、母親と違って「残しても責めない」と意識で分かっても、食べ残す事への恐怖は残る。
それが感情的記憶である。知性が記憶しているのではなく、感情が記憶しているのである。
幼少期や少年期にできたニューロンのネットワークは、そう簡単に作り替えられるものではない。
そうした環境の中で育てば、自分が何かいう事で、相手が傷つく事を恐れる大人になる。
「メランコリー」と言う名著を書いたドイツの精神病理学者テレンバッハの言う「加害恐怖」に陥る。
相手が不機嫌という事は、そういう人にとっては責められていると感じる。
だからそういう人は大人になってからも相手の不機嫌にいつも怯えている。
例えば、大人になっても人の好意に「ノーサンキュウ」と言えない。
友人から夕食に招待されて料理をたくさんつくってくれた。おいしく食べた。しかし、もうこれ以上たべられない。
でも「もうお腹がいっぱいだからけっこうです」と断れない。
なぜ断れないのか、それは幼少期にそのような対応をすると、地獄の体験をしたからである。
つまり「もう食べられない」と言った時に、母親が物凄く不機嫌になった記憶があるからである。
母親が「ケーキ」食べる?と聞く。子供は本当は食べたくない。
でも「食べたくない」と答えた時に、母親がどのくらい不機嫌になるか体験している。
そこで小さい頃から「ケーキ食べる?」と聞かれたときには考える余地が無く、喜ばなければならない。
心の底に憎しみがたまっていく
こういうように責められて育っている人は、心の底に憎しみの感情が堆積しているのは当たり前である。
だからこういう人は人が好きではない。会話も下手である。
相手が不機嫌になる事が怖いから気軽に物が言えない。
「ケーキを食べる?」と聞かれたら「ワー嬉しい」と答えなければ親から激怒される。
「ワー嬉しい」と言う心の反応が親は嬉しい。親が子供に甘えているのである。
そして甘えられないときに親は怒る。親は自分の甘えの気持ちが傷つくと怒る。
そうした体験を積み重ねていれば、何を言うときも、相手の気持ちを傷つけないように、きをつかうようになる。
これでは会話は成り立たない。そういう人は大人になっても、いつもなんとなく人が怖い。
コミュニケーションができるとは、本当は食べたくない時に、「食べたくない」と言える事である。
世の中には「オギャー」と生まれた時から責められて育っているような人もいる。
そういう人は、人が責めていなくても責められていると感じてしまうように育ってもおかしくない。
被害妄想という言葉に習って言えば、それは「被害妄想」である。
「オギャ-」と言う声が声が「怖い、怖い」と言う声のように、生まれた時から怖いと感じている人いる。
そして、その人が三十年、四十年、五十年とたてば、生きることに疲れるのは当たり前である。
家の中にはガソリンがある。家の前で誰かが焚き火をすれば誰でもビクッとする。
被害妄想のある人は、心の中にガソリンがあるようなものである。
誰かが何かを言えばビクッとする。小さい頃周囲の人から甘えられた人は、心の底に憎しみをもっている。
自分が幼児的願望を持っているのに、他人の幼児的願望を満たす役割を背負わされてしまった人は悲惨である。
これは心理的にはまさに地獄である。・・・・・つづく
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