適当にしますかぁ
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アイちゃん買ったどぉ
2007年04月30日 (月) | 編集 |
ユウくん何買ったの?
アイちゃんカメラ買ったどぉ
デジカメなの?
そうデジカメ
何のためにユウくん それにデジカメもっていなかった?
そうもってたよ
2台もどうするつもり?
アイちゃん今度のデジカメは一眼レフだよ
なんでそんなもの買ったの家族もいない一人ものなのに
俺にのわからん でも一人だとほとんど外に出ていかないし 気分転換のためにもと思ってね
ふ~ん高い買い物したわねユウくん
まっいいじゃんすること何もないし
長島

でこれが初写真
ま~自動モードだから全部カメラがしてくれたんだけどね
俺の近所の長島温泉の夜景だけどしかし難しかったどぉ
案外まともに写っているじゃないユウくん
これからももっと腕磨かないとカメラに負けるどぉ
しかし普通の家族は今頃は行楽地で遊んでるのに俺は何してるんだろう
まっいいか いい趣味できたわほんまに
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アイちゃん予定あるの
2007年04月26日 (木) | 編集 |
何の話ユウくん
もちゴールデンウィークのことだよ
私をさそっているなら無理よデートがあるからね
そうかぁ仕方ないな 行楽地は人で一杯だからどうしようかなぁ
まあカメラでも買って人のいない珍しいものでも撮りに行くかぁ
ってことで心の病しばらくぶりでホナスタート

受身の態度が困難を呼びこむ
生きることに疲れた人は当たり前であるが、何事にも積極的になれない。
自分から何かをしようと言う意欲はない。今のままで生きることが精一杯なのである。
だからこれをすれば楽になるという事が分かっても、それをする気力が残っていない。
自分から部屋を片付ける気にはならない。部屋を片付けると気持ちよくなるといわれても、自分から部屋を片付ける気にはならない。
部屋に花を飾ったら部屋が明るくなるといわれても自分から花を飾る気にはならない。
人が替えてくれるのを待つ。受身でいるから当然、日々困難は増大してくる。
いつも受身でいるうちに、なんでもないことが物凄い困難に思えてくる。
受身でいるからストレスが増してくる。困難に出会うから受身が物事を困難にしてしまうのである。
受身の態度や考え方が困難を呼び込んでしまう。これが「悩みは自分でつくる」と言う意味である。
では、人ななぜ受身になるのか。それは生きることに疲れる理由と同じである。
心の底の憎しみが出口を見つけられないでいるからである。
表現されようとする憎しみの感情と、それを抑えようとする意識的な力が心の中で葛藤し、エネルギーを消耗してしまう。
受身と言うようなややこしい考え方をしないで、説明すれば、うつ病者は何かをするのがとにかく「もういや」なのである。
うつ病者の受身の生活態度が、うつ病者の生活を蝕んでいる事は明らかである。
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アイちゃんバテ気味だよなんとかならんかなぁ
2007年04月22日 (日) | 編集 |
アイちゃんもうすぐゴールデンウィークなのに予定がないし何とか考えないといけないなぁ
もう決めておかないと日にちがないわよユウくん
んーアイちゃん相手してぇ
嫌よ私は予定がいっぱいよ
そうか何とかしてみつけようっと
ところでアイちゃん銃犯罪が多発してるね
そうねアメリカでも大学で沢山のひとが犠牲になったわね
俺が思うに孤立して自暴自棄になり犯罪にはしった様な気がする
そうかもねユウくん
孤立しうつ状態になれば誰でもおかしくなる これからの世の中は心の問題が物凄く大きくなってくるかも
ってことで心の病は重要ってことでホナスタート

生きることに疲れた人は自分から行動を起こせない
セリグマンはうつの中心的症状として、「受動性」「消極的見通し」「無力感」の三つをあげている。
その一つ一つについて考えて生きたい。
セリグマンはうつ病の中心的症状として受動性をあげている。
「一つの戸が閉まれば別の戸が開くといっても、黙って待っていたのでは別のとは開かない。
しかしうつ病になるような人や生きることに疲れた人は、別の戸をこじ開ける気力がない。
ドアを自分で開けようとする人もいれば、誰かがドアを開けてくれるのを待っている人もいる。
自分できに登ってリンゴを取ろうとする人もいれば、リンゴが木から落ちてくるのを待っている人もいる。
生きることに疲れた人は待っている。うつ病者も待つ人である。
しかし怠け者だから待っているのとは違う。逆に頑張りすぎて、もう自分で木に登ってリンゴを取るエネルギーが残っていないのである。
あるいは取ってもらうのが嬉しいのである。リンゴそのものが欲しいのではなく、人が自分のために何かをしてくれるのが嬉しいのである。
それは愛を求めているからである。
うつ病になるような人、つまり生きることに疲れた人は、人から何かをしてもらう事ばかりを考える。
人に笑顔を求めるが、自分が笑顔で接する事は考えない。
生は自分から行動を起こさない。生きることに疲れた人は、「誰か俺を何とかしてくれ」と叫んでいるのである。
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アイちゃん又きたどぉ
2007年04月15日 (日) | 編集 |
何が来たのユウくん?
地震がきたどぉ あまり強くなくて良かったもう少し強かったらパソコンが下に落ちてパーになるところだった
ま~電化製品なんか落ちて壊れてもまた買い換えればいいけれど車を運転していて地震にあったらがけ崩れや道路の陥没で命がなくなるかもしれないしね!
そうよユウくん運転してる時には特に注意してね
はいよアイちゃん しかし道路っていうのは地震に弱いなぁ この前の能登半島地震なんか各所で道路が寸断されていたもんなぁ それで各地で孤立していたけど国も考えたほうがいいじゃないかなぁ
どうすればいいと思うユウくん
俺は防災や生活路線を守るため鉄道を利用するべきだと思う
ユウくんそういえば奥能登は鉄道が廃線になっていたよね
そうもし鉄道が残っていたなら線路だけの復旧でもっと早く復旧できたはず生活支援物資も鉄道をつかえば早く大量に送る事が出来る国は真剣に考える時期に来ていると思う
どうして国は地方ローカル線を見放すの?
それは官僚が地方の生活などどうでもいいと思っているからじゃないのかなよく分からんが これだけは言えるねイザと言う時のために鉄道ぐらいは残しましょうね地方の安全と未来のためにね!

てことで心の病ホナスタート
「私は神の子だ」と言う啓示がある
「孤独な決断」とは、不幸になる宿命を担った者の「それでもなお、幸せに生きるための決断」である。
おそらくその決断をする時に、「私は神の子だ」と言うような啓示があるに違いない。
それはほとんどの人間には不可能と思われる決断だからである。
決断をする力のないものがする決断だからである。
現在の学問が証明するところからすればあるタイプの脳を持ったものが、ある特徴を持った家族の中に生まれたら、絶対に幸せになれない。具体的にいえば、抑制型の人、つまり左脳に比べて右脳が活発で、反応しやすい扁桃核を持ち、副交感神経に比べて交感神経が活発な人が、ボールビーの言う「親子役割逆転」をした家庭で成長したら絶対に幸せにはなれない。
生まれてから死ぬまで間違いなくずーっと不幸である。しかし、「それにもかかわらず」幸せになるという決断である。
マズローが、自己実現している人は、「それにもかかわらず」」と言う考え方をする共通性があるという。
脳の研究が盛んなアメリカにおいても、なお無宗教者は十三%であるという。
したがって、「それでもなお、幸せになるための決断」はほとんど宗教的な体験なのである。
だから、その時に「私は神の子だ」と感じてもそれは狂気の世界の出来事ではない。
まさに現実の世界の出来事なのである。「母なるもの」をもった母親のもとに生まれ、かつ非抑制型の脳を持った人には想像もできない壮絶な決断である。今幸せな人は、過去のどこかで幸せになる決断をしている。
肉体的に説明すれば、出血多量でも「なお死なないでいる様な決断である」
心理的に病んでいる人は、不幸な過去から抜け出すための「その決断」ができないでいるのである。
テーマ:キャーーー(♡∀♡)!!
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アイちゃんもう散ってた
2007年04月11日 (水) | 編集 |
ユウくん何の事?
アイちゃん桜の事だよ もう散ってたナンという早さだ 桜見ながら飲もうと思っていたのに早すぎるどぉ
残念だったわねユウくん
まっいいか 若い桜ちゃんでも見ながら飲むか
ユウくんそれって女の子のことじゃないの?
いいや 人の体をもった桜だよ
ってことでホナ心の病いきますか
ホナスタート
孤独な決断をせよ
愛に恵まれたものが、愛に恵まれないものを裁く事が許されるのか?
心理的に病んでいる人には、心理的に病んでしまう理由があって心理的に病んでいるのである。
誰も好き好んで心理的に病んでいるのではない、心理的に病んでいる人も、避けようのない運命のもとに苦しんでいるのである。
誰だって派はなるものをもった優しい母親のもとに生まれ、可愛がれて成長したい心理的にも、経済的にも豊かな環境の中で成長したい。
しかし残念ながら自分の運命を選択できない。与えられた運命を生きるしかない。
したがって、不幸な過去から抜け出し、「今を生きる」ための唯一の方法は決断である。
先に述べたように、「人生とはこういうものであったか、人間とはこういうものであったか」と学び、そして「ならば私は今からはこう生きよう」
と言う決断である。それは孤独な決断である。
アメリカが二〇〇三年にイラクとの戦争に突入していく時に、アメリカのテレビは、「ブッシュ大統領の孤独な決断」と言った。
そして私の見ていたCNNテレビは、記者会見を終えてお付もなく、たった一人で赤い絨毯を歩いて去っていくブッシュ大統領を映していた。
確かにその後姿はには華やかさはなく、好けるような孤独がにじみ出ていた。
確かにアメリカ大統領決断は、多くの人の生死を決める孤独な決断であろう。
おそらくリーダーには、誰でも多かれ少なかれそのような決断があるのだろう。
しかし、孤独な決断をしなければならないのは、何もリーダーばかりではない。
リーダーとはまったく異質であるが、母なるものをもたない母親のもとに生まれた人もまた、孤独な決断をしなければならない。
それは生きる能力を奪われたものの「それでもなお、生きるための決断である」
生きる力は本来他者から与えられものである。
その生きるエネルギーを与えられていないものの、「それでもなお、生きるための決断」である。
本来絶望と恨みの中で死んでいくのが人間の心理として当たり前のものが、「それでもなお、生きるための決断」をするのである。
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アイちゃん旅がしたいどぉ
2007年04月05日 (木) | 編集 |
すればいいじゃないユウくん
それがなぁ国内じゃ一人旅でゆっくりできてくつろげて愉しい旅が
できるところなんてないんだよなぁ
それにお金と時間もないし
じゃあ何処に行きたいのユウくん?
ん~俺が行きたいのはイギリスだな 古い城をめぐって一等客車でウイスキーでも飲みながらイギリス各地の保存鉄道を見に行くそしてその文化にふれる
なんかいいねーユウくん
アイちゃん最高の旅じゃん ただ時間と旅費がないだけだぁ
それが一番肝心なことじゃない
かもねアイちゃん夢はとっておくか てことで心の病
ホナスタート 

嘆いている人は、過去ばかりでなくとにかく現実を見たくない。
そして自己現実を見ない。例えば粉塵が凄い。ガンになるかもしれない。
その時に、「昔はもっと酷かった」不幸な人の思考は悪循環する
とか、「昔はよかった」といっている。
そういっているだけで引越しの準備はしない。そのためのエネルギーはない。
過去にこだわるのは今の苦しみを楽にするためである。そして逆に今が苦しいから過去を抜け出せない。
人は今が不幸だから過去に捕らわれて生きてしまう。過去に捕らわれて生きるから、今を生きられない。
今を生きられないから今が不幸になる。悪循環である。
不幸な人はどうしても、し残した事に執着してしまう。し残した事に執着するから今が不幸である。
今が不幸だから、し残しことに執着すると言う悪循環である。それを、心理的健康な人は、自分の今の環境を嘆き過去にこだわっている人に、「何でいつまでも過去にこだわっているのか?」と言う疑問を投げかける。
「過去を嘆いていても変らない」と言う。そして今を生きよと言う。
心理的に健康な人は今が幸せだから、不幸な過去から抜け出せる。
心理的に健康な人は今が幸せだから今を生きられるし、今を生きられるから今が幸せになる。
好循環である。心理的に病んでいる人は今が不幸だから、いつまでも不幸な過去にこだわる。不幸からどうしても抜け出せない。
自分は幸せであり嘆いている相手は今が不幸だという、その違いを考えないで、過去にこだわって生きている人を責めるのは酷である。
前に進めない人を責めるのは酷である。

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アイちゃん今度は近鉄養老線がなくなるかも
2007年04月01日 (日) | 編集 |
ユウくん廃線になるの?
いやそれだけはまのがれたよ、近鉄が子会社の養老鉄道作ってそれに
経営させることになったんだよ。
じゃあ良かったじゃない
それが良くないだよアイちゃんもし赤字が続けばもう養老鉄道を廃止して養老線を廃線に追い込むは目に見えている。
どうしてそれが言えるのユウくん
それはね国鉄が民営化したとき全国のローカル線が子会社の第3セクターの会社にしたけどほとんどの会社は赤字で潰れてしまった、そしてほとんどが廃線に追い込まれたそんな過去があるんだよ
じゃあどうすればいいの?
俺は誰も望まない公共事業の予算や誰も使いそうもない新幹線建設予算をローカル線の維持費用にあてるべきだと思う。
そうすれば京都議定書の二酸化炭素排出量削減なんか簡単にクリアーできるはず!
そうよねユウくん鉄道廃止は時代に逆行してるわね
そうだよアイちゃん地球に優しい乗り物は鉄道だよ俺も車に乗っているけどガソリン税が役人の懐に入るくらいなら、鉄道存続のために使いますと言ったら俺は大賛成するね
そうなればいいのにねユウくん
でもこれからの時代はそうなるんじゃないの自動車免許のない交通弱者を守るためには!
てことで心の病サボりすぎたのでほないきますか
ホナスタート

嘆いても現実が解決しない事はじぶんでもわかっている
それにしてもうつ病になるような人は「なぜあきれるほど過去にこだわるのか?
「過去にこだわる」と言ったときに、二つの意味がある。
一つは自分の失敗をいつまでも悔い続けているとき、その理由はそのように悩む事で失敗の免罪を得られると思っているからである。
そしてそのように悔やむ事で失敗の免罪を得られると思っているからである。
そしてそのように悔やみ、自分を責める事で自己の価値を維持し続けようとしている。
「過去にこだわる」と言ったときのもう一つの意味は、自分が過去にこうむった被害をいつまでも訴え続ける事である。
被害を誇張して訴えるのは他の箇所でも説明したが、憎しみの感情を吐露しているのである。
被害者意識に立ってものを言う人が日本人には多い。それは日本人には心のそこに憎しみがあることを示している。
それと同時に、彼らは愛を求めているのである。被害者意識に立って物を言う人は解決を考えていない。
自分を認めてくれ、愛してくれ、分かってくれと叫んでいるのである。
人がいると妙にはしゃぐ子供がいる。そうした子供は淋しいのである。周囲の人の注目を求めている。
被害を誇張して訴える大人の心理はこれと同じである。
過去にこだわる理由は、過去にこうむった被害の苦しみをいつまで訴え続けていれば、今の苦しみは消えるからである。
人がいつもいつも嘆いているのは、注目を求める事で今の苦しみを消すためである。
嘆いていればその瞬間、少しは心理的に楽になる。注目を求めている瞬間少しは心理的に楽になる。
「もし私の親が少しでも愛する能力があったら、私はここまで不幸にはならなかったのに」と嘆いていることで、かろうじて現実にとどまっていられるのである。自分の不幸を嘆くことで慰めているのである。
「私の親兄弟があそこまで冷酷でずるくなければ、私の人生はここまで惨めでなかったのに」と
避けようのない過去を嘆くことで、今の不幸に耐えようとしているのである。
嘆き続けることでガスを抜いている。自分の憎しみの感情を喋っている。
話しても話しても憎しみの感情が晴れない。傷が癒されない。そこでいつまでも嘆き続ける。
過去を嘆いていても、今の現実の問題を解決する事にはならない事は、嘆いている本人も知っている。
しかし帰ることのできない過去を嘆くことで、今心理的に楽になるから嘆くのである。
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