適当にしますかぁ
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アイちゃん俺の所そうとう揺れたよ
2007年03月27日 (火) | 編集 |
地震ねユウくん
そう能登半島は相当揺れたんじゃないのかな
朝寝坊してたら起こされたから地震で
いつまで寝てるのよユウくん
ま~いいじゃん でも日本のどこでも地震はくるんだなぁと思ったよ
まぁ早く復興して海の幸ををたべにいくどぉ
てことで心の病ホナスタート


過去にこだわるから、今を動けない
うつ病者の時間は止まっている。体は現在に生きていても、心は過去の時間にとらわれている。
だから、あの時に、アーしたらあれはうまくいったのに」という事をいつまでも言い続けている。
バックミラーを見て運転すれば誰でも事故は起こすだろう。でも前を見られないのが、うつ病になるような人である。
心理的に健康な人は、、うつ病になるような人は前を見られるのにバックミラーを運転しているのはなぜだろうと思っている。
そうではない。前を見られないからバックミラーを見て運転しているのである。
過去にこだわるのは、今、動けないからである。
「もういい加減に代よ」といいたいほど過去を引きずって生きているのは、先に進めないからである。
うつ病になるような人は今何をしていいのかが分からない。自分が何をしたいのかが分からない。
心理的に言えば、長いこと安全な場所で自分は何をしたいかを考えてこなかったからである。
自分は何をしたいのかが分からない心理的にいえば、長いこと安全な場所で自分は何をしたいかを考えてこなかったからである。
心理的に言えば、長いこと安全な場所で自分は何をしたいかを考えてこなかったからである。危険地帯で生きてきたからである。
だから今先へ進もうとする時に、自分は間違いなくこれをしたいという確認が欲しい。
その確認がないと先に進めない。
自己執着的な納得をしてから先に行く。
子供の頃に足に怪我をして痛かった。
ところがそれを母親が傷口を口ですって薬を塗って治してくれたするとこの「痛みという体験は、痛くても過去のものとなる。この体験が園子の心を捉えてしまうという事はない。
そしてこの子はこの体験から生きる知恵を学ぶ。しかし、ここで母親が笑って無視したとする。そうなると、この小さい頃の怪我という体験は、心の世界では過去の体験にはならない。肉体的な痛みは過去のものだけれでも、憎しみを持ち、それがやがて恨みに成長する。
肉体的は過去だけれど、心理的にはその体験は今なのである。社会での時はすぎていくが、心の中では時はすぎていかない。
そこで過去への執着ということになる。傘寿年前に土手で母親に捨てられた。その人が十歳の時だった。今は四十歳である。
しかしその人の心の中には、その時の恐怖は残っている。「もう過ぎたことじゃないかと人は言う。しかし心の恐怖は消えない。
他人からみると、この悲しみや恐怖が分からない。だから、「いつまでも過去にこだわって」という。
そしてさらに二十年経ち、その人は七十歳でしょう」と言う。しかし憎しみは消えない。
人は、「いったい何歳になっているの?もう七十歳でしょう」と言う。しかし憎しみは消えない。
人は見える行為のみを見る。だから「もう許してあげてもいいんじゃない」と言う。
しかし、本人にしてみればそれは過去の出来事でない。その悲しみや恐怖は今の悲しみであり、今の恐怖なのである。
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アイちゃん乗りにきてぇ
2007年03月21日 (水) | 編集 |
ユウくん何に乗るの?
電車に乗りに来て欲しいんだぁ
いままたローカル線の旅が見直されてるからねユウくん
たしかに都会の騒音を避けてひなびた風景に浸るのもいいかも でもアイちゃんそれではローカル線は存続できないよ!もう全国で42路線が廃止されたんだたった二年の間に!
そうかもね地元の人達のことを考えないとね
そうだよだからもっと鉄道を利用してほしい環境のためにもまた心のリラックスのためにも
わかったわユウくん私も鉄道の旅をするわ
それでアイちゃん三岐鉄道北勢線にも乗りに来てぇ 温泉もあるから
ユウくん乗りにいくわ ひなびた駅に田園の景色を見てリラックスするわ!
アイちゃんそれは無理だわ 確かに小さな電車でローカル線で最高時速45キロでドンくさい電車だけど公的資金45億円かけて全駅改修してるからひなびた駅なんて一つもないよ全駅自動改札にバリアフリーに障害者用トイレまでほとんどの駅に完備されているから
ユウくんそれじゃあローカル線で心リラックスなんてできないじゃない!
アイちゃんそれは都会の人のワガママだよ毎日使うほう身になって考えたら
ん~ユウくんの言うとおりだわ じゃあ新しくなったローカル線に乗りにいくわね!
アイちゃん待ってるからね!ちなみにしたの写真はまたオープンした新しい阿下喜駅近くに温泉もあるからのりきてぇ!
ageki

それじゃあ心の病久しぶりに投稿しようかなぁ
ホナスタート
心を「今に置く」
「母なるもの」をもった母親のもとに生まれた幸せな人は、簡単に「今に生きよう」と言う。
しかし簡単に今に生きられれば、誰だって今に生きる。今に生きようとしても今に生きられないから嘆いているのである。
うつ病になるような人はとにかく今を生きる気力、生産的に生きるエネルギーを奪われている。
ない袖は触れないという。いくら裁判で勝ってもお金のないものからお金は取れないという。
そのような裁判で勝つ事を英語では「Empty victoty」という。
今を生きられない人は、満たされていない過去の要求に支配されてしまっている人である。
過去のさまざまな感情を抑圧している人は、なかなか今を生きられない。
「今を生きる」とは、今の静けさを味わいなさいという事である。自然の音を聞きなさいということである。
「心ここにあらざれ場、見れども見えず、聞けども聞こえず」になる。
だから心を今ここに置きなさいということである。今を生きれば聞こえてくるものがある。匂ってくるものがある。
「今を生よ」とは今に反応せよということである。今の雨の音に聞き入れという事である。
今晴れた空の下に居るなら、その晴れた空の澄み切った空気を味わいなさいという事である。
それが出来ないのは、心のそこに憎しみがあるからである。その過去に引きずられる。
今が不幸な人は過去に生きている。入切る事に疲れた人が、一人の世界に入ってしまうのは、心の底に憎しみがあるからである。
脳と行動の研究をしているアメリカのアーメン博士によると。過去の心の傷に捕らわれている人は脳のシングラートと言う部分が正常に機能していないという。ただ問題はなぜそれが正常に機能しないかということである。
私は荷軋みが原因だと思っている。
手に入らないものを追いかけない
イソップ物語に次のような話がある。
コウモリと、イバラと、カモメが仲間になって、商売をしようという事になった。
コウモリは銀貨を借り、イバラは外套を仕入れ、カモメは胴の塊を持ってきて、皆で船に乗って出かけた。
途中激しい嵐にあい、船は遭難する。何とか助かったが陸に上がった時から、カモメは海岸にいて、並が堂の塊を打ち上げはしないかといつも番をしていた。コウモリはお金を貸してくれた人に見つからないかと恐れて昼間は隠れて、夜になると餌を探しに出かけた。
イバラはと売りかかる人を捕まえては外套が自分のではないかと探した。
過去に捕らわれて生きる愚かさをイソップは見事に描いている。失ったものをめんめんと追いかける愚かさである。
手に入らないものをずーっと追いかける。それで一生を終わる。そういう人が案外多い
自分の失った人生への未練で一生を終わる人は多い。送ろうと思えば、目の前に素晴らしい人生があるのに。
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アイちゃんやっと投稿できたどぉ
2007年03月14日 (水) | 編集 |
ユウくん何かあったの?
いや~ずっと繋がらなかったんだよアイちゃん
どうして繋がらなかったの?
またプロパイダーの障害だったみたいだよ
海外のhpが見れなかったんだだからだよ
そうだったの!
そうなんだよアイちゃん dionさんちゃんとやってよねほんとに!
ってことで心の病久しぶりスタートだ

状況を受け入れる
ある本にある中小企業の社長さんの話が出ていた。貧乏のどん底に追いやられ、会社の再建は不可能だと言う。
「子供の学校も中途退学させねばならぬ」「すべて自分が悪いのだと言う罪悪感」。
しかし「第三者が公平な立場で見ればそれほどの事はない」。
じつは社長は生きることに疲れているのでこう思うことで済ましているのである。
この社長は会社が嫌いなのである。子供も嫌いに違いない。
もし会社が好きで、子供が好きなら、この社長は頑張る。ここがポイントである。
こういう人は、自分の心の底の罪悪感や憎しみを意識できないから、長い間に疲れるのである。
憎しみを意識できれば「すべて自分が悪いと言う罪悪感」までいかない。
うつ病になるような人はこの社長と同じである。本当は嫌いなのに「嫌いになるべきではない」と言う規範意識で「好き」と自分に言い聞かせて生きてきた。そして頑張りたくないのに「頑張るべき」と思って頑張って生きてきた。
嫌いな事を嫌いと意識して生きてきた人が、この社長に、「頑張れば、会社を再建できる」と言うのは見当違いな励ましである。
このような励ましはこの社長をもっと絶望のふちに追いやるだけである。
アメリカの心理学者シーベリーは、「失敗するのは、事実を拒み、事実を事実として認めようとしないからです。それを認めれば、それらを正す方法も見つかる」「問題は解決する」と述べている。
この社長に必要な人は、「頑張れば、会社を再建できる」と言う人ではない。
「本当はかいしゃもなにもきらいなんじゃないの?]
そして、「もう無理するな。たまには遊べ、よく食べろ、そしてよく眠れ」と言ってくれる人である。
この社長は本当の自分のかんじ方を認めないから、「何でこうなるのかが解らない」
だからこの社長は正体不明のものに怯えているのである。
進んであるがままに自分の感じ方を受け入れれば状況は好転する。それは自分の内なる力が解き放たれるからである。
「状況を受け入れるこれが状況に対処する第一歩です」とシーベリーは述べている。
この言葉を借りれば、「自分の感じ方を受け入れる これが状況に対処する第一歩である。
辛かった身の上話を聞いてくれる人を探す
入切る事に疲れたあなたが今面白い毎日出ないとすれば、それはあなたの心が疲れているからである。
だからまず自分の心を癒す事を考えるが大切である。ただ休むのでもいいし、動物を飼うのでもよい。
例えば小鳥を飼うのでもいいし、犬を飼うのでもいい。そして小鳥が餌を食べるのを見て心が癒される。
又、癒される相手を探すことである。王様でもホームレスでもいいから無欲の人を探す。
今までのあなたの周囲の人とは価値観の大きくずれている人を探し、付き合う。
林の中を歩くのでもいい。自然と接する事で心が癒される。野原で風に当たるのでもいい。
風に当たる事で心が癒される。そういうことをするのが億劫ならそれをしなくてもいい。
静かに座って景色を眺めていればいい。居心地のいい場所を作る。
それは安心して身をゆだねる事のできる場所である。うつ病になるような人は、小さい頃から身の安全がなかった。
そしてあなたの辛かった身の上話を聞いてくれる人を探すことである。
あなたを励まそうとする人よりも、「あなたはそれほど苦労したのねー」と聞いてくれる人である。
コオロギは御土産を持っていかなければ仲間は木の根に入れてくれない。
そこで可哀想なコオロギは寒さに震えている。悶死しそうになる。仕方がないので必死になってお土産を持っていった。
あなたが、「私はそういう生活をしながら生き延びてきたの」と自分の過去を説明する。
その時に、「それほど苦労したのね」と聞いてくれる人である。
あるいは一時の気を紛らわす事であれば、数珠をいじっているのでもいい。
「アランが言っているように、数珠は実に見事な発明だ。なぜなら、数珠を操る事で指が占拠されるだけでなく、心も占拠されるからだ。
舞台に出る時、すっかり気おくれしているピアニスト、ピアノを弾き始めたとたんに怖くなる。
指の動きが彼の注意を奪い、恐怖から解き放つのだ」
数珠をいじっているうちに散歩でもしようかと言う元気が出てくるかもしれない。
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アイちゃん痛かったどぉ
2007年03月07日 (水) | 編集 |
どうかしたのユウくん?
いやぁそれがね仕事中ヨソ事考えていたら手を怪我してしまった
何考えていたの?
それはね前妻が何で今頃俺の実印を送ってきたのか考えていたんだ
ユウくん直接聞けばいいじゃない
それができれば苦労はしないよ なんか声聞くだけでも怖くてだめだ
そんなに怖い人だったの?
それが違うんだ別れる2年前まではホント優しかった、でもその2年で女の人がこんなに怖いと思わなかった
ユウくん浮気したんでしょう?
いや浮気はしなかったけど飲みには行ったねオネエチャンの居る所に、でも男なら普通だけどなぁ
それが気に入らなかったんじゃないの
いやアイちゃんそれぐらいじゃ別れないよ
じゃあ何なの?
俺達の場合どちらも信じられなくなったのが原因だよ
お互いが信じあえなくなったら夫婦じゃなもんねユウくん
そうアイちゃんの言う通り俺は形だけの夫婦なんてまっぴらゴメンだもんね ってことで心の病スタート

生きるエネルギーを回復すれば世界は違って見える。
周囲の人の中にはあなたを励まそうとして、「あなたはこんなにいろいろの仕事をしてきた、あなたはこんなに頑張ってきた、だから貴方は自分に誇りを持てるでしょう」と言う。
確かに一般的な基準から見ればあなたは長いこと頑張って仕事をしてきた。
会社でも仮定でもいろいろな責任を立派に果たしてきた。
あなたが自分に誇りを持つのは当たり前である。
しかし、貴方は自分に誇りを持っていない。周囲の人から見れば、あなたが自分に誇りを持っていないのは不思議である。
問題はあなたがしてきた仕事の質と量ではない、あなたが果たしてきた責任の重さではない、背負ってきた負担の重さではない。
あなたが果たしてきた、あるいは果たしつつある責任は重い。あなたは一般の人よりも社会に貢献してきた。
でも生きることに疲れたあなたはその自分に今誇りをもてない。
周囲から、「こんなしてきて、凄いじゃないか、誇りに思わないの?」といわれても誇りに思えない。
それはあなたが誇りに感じる心の能力をすでに失っているからである。
普通の人が貴方と同じだけの仕事をしたら自分を誇りに思う。
しかし同じことをしても、あるいはそれ以上のことをしてもあなたは自分に誇りを感じない。
それが生きることに疲れたという事である。あまりにも長い間ストレスに耐えて頑張っているうちに、喜びも楽しみも誇りも何も感じられなくなってしまったのである。
だから生きることに疲れたあなたは、自分についての事実を変えようとするよりも、あなたの心を変えようとすることである。
生きることに疲れたときと、生きるエネルギーを回復した時では、世界は違って見える。
周囲の人も違って見える。自分自身も違って感じられる。
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アイちゃん女性て強いね
2007年03月04日 (日) | 編集 |
どうかしたのユウくん?
それがね離婚した妻から俺の実印が送られてきたんだけど
それがどうかしたの?
そのことじゃないんだ
じゃあなんなの?
その送られてきた名前のミヨジがまったく知らないミヨジだったんだよ
いつの間に再婚したんだろぉと俺なりに感心したよ
何別れたのにまだ未練があったの?
アイちゃん未練なんかあるわけないじゃん!それよりさき越されたと思っただけだよ
ユウくん嫉妬してるのぉ?
嫉妬とも違うんだよなぁ なんていうか俺の場合再婚が考えられる気分にならないだよなぁ 再婚はもう面倒くさくてシンドイし
ユウくん結婚してもいい人いないんじゃないの?
そうかもね心の安らぐ人なんてなかなか現れないもんだよ
てことで心の病ホナスタート

自己執着するから疲れる
あなたは自己執着から疲れたのである。その点をこの機会に反省して、生き方を変えようと思わなければ、回復しても又いつか先に行って同じように生きることに疲れてしまう。
もしかすると十何年たっても同じように生きることに疲れたといっているかもしれない。
あなたは確かに必死になって努力してきたであろう。しかし、いったい「誰のために」努力してきたのか、底をもう一度かんがえてみることである。生きることに疲れてもなお周囲の人を恐れてみる事である。
生きることに疲れてもなお周囲の人を恐れていたり恨むばかりで、「自分は今まで何をしてきたのだろう?」と考えない人は、幼児的願望がまだ物凄く強いのである。まさに情緒的未成熟である。本当に心理的成長が出来ていない。
こういう人は、自分は心理的にはまだ三歳か四歳くらいの子供に過ぎないと認めなければならない。
そこから出発する事を考える。それに対して、生きることに疲れたときに、周囲の人を恐れたり恨むのではなく、「自分は今まで何をしてきたのだろう?」と考えた人は、幼児的願望をある程度は消化できている。
十代の若者にはなっているかもしれない。
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