適当にしますかぁ
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アイちゃんお鍋が食べたいどぉ
2007年01月28日 (日) | 編集 |
ユウくん食べればいいじゃない
それが美味しくないだよねぇ アイちゃん
美味しいお鍋食べに行けばいいじゃない
だから美味しく感じられないだよ
どうしてなのユウくん?
アイちゃん料理はみんなで食べるから美味しいだよ 独りで鍋なんか食べたって美味しくもなんともない
そうかもねユウくんだったら美味しく感じられる人と食べに行ったら?
でもね俺が一番美味しく感じられるのはアイちゃんと一緒に食べに行った時だけだよ
じゃあ一番高い料理食べに連れてってもらうわね
アイちゃんじゃあ料理とアッチもね
何言ってるのユウくん私を食べる人はちゃんといるわよ
やっぱ無理だったか 残念ヽ(∂o∂ヽ)Ξ(/∂o∂)/ えーン
てことでほな心の病スタート

周囲の人に迷惑かけても、とにかく休もう
生きることに疲れたあなたは今まで頑張りすぎた。頑張り過ぎなければ生きることに疲れることはない。
生きることに疲れたあなたは、いま休んでよい。自分の心も体も休ませてあげる。
自分の心も体も休ませてあげる。自分の心も体もやさしくいたわってあげる。
今は「自分に優しく、無理をしない」という事である。今休む事で周囲の人に迷惑をかけることを気にしているかもしれない。
しかし今あなたは休んでよい。心身ともに元気になったらその分頑張ればいい。
今はもうこれ以上頑張る必要はない。周囲の人からの悪評を恐れる事はない。もう周囲の人から好かれる必要はない。
今は静かに休むことである。「こんな日は久しぶりだな」と思うような日を送る事である。
今あなたが静かに休むことであなたを蔑視する人がいれば、その人はあなたが頑張っているときには、あなたから搾取する人である。
そんな人と関係が切れてよかったと思うことが貴方のためになる。
あなたが頑張っていれば、そういう人はあなたから搾取し続ける。あなたを利用し続ける。
あなたは疲れ、その人は元気になって豊かになり続ける。すきっぷ2

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アイちゃん不眠症が治らんどぉ
2007年01月21日 (日) | 編集 |
寝られないのユウくん
そうなんだよなぁもう慢性化してるみたいだよ
悩みでもあるの?
そう何が悩みなのか分からん だから余計に寝れん
まっいいかそのうち寝れるだろう
っことで心の病ホナスタート

うつ病者の脳は年寄りと同じ
何が原因であるにせよ、うつ病になるような人は年齢に関係なく生きることに疲れたのである。
よく、若いのだから、もっと元気を」というが、うつ病者の脳は若くはない。肉体的に若くても気力はない。
肉体的に若くても生命力は落ちている。生命力が衰えていれば、肉体的に若くても意味がない。
うつ病になるような人はあまりにも長い間悲しみに耐え、情緒的に虐待に耐え、激しいストレスの中で生きてきた。
周囲の人に利用されて生きてきた。奴隷のように周囲の人に都合よく扱われることに耐えてきた。
ずるい人にいいようにいいように扱われて生きてきた。そして脳がすりきれた。
肉体年齢はどうであれ、その間に脳は苦しみで老化していたのである。しかし脳の老化は外には見えない。
周囲の人はいつまでもきつい事を要求し続ける。人は年寄りに「走れとは言わない」。
しかし脳の老化した人に走れという。そして走れないと「何で走れないんだ?」と疑問を持つ。
赤ん坊が車道を歩いていれば、人は「アブナーイ!」と言う。しかし赤ん坊の脳を持った大人が歩いていると、人は「馬鹿野郎!」と言う。
三分の片付けさえできなくなっている
生きることに疲れた人はとにかく休む事である。生きることに疲れたあなたはとにかく休む事である。
もうへとへとに疲れている。つかれきっている。生きることに疲れた状態とは仕事で気になる事がありながらも、それを片付けられない状態である。一つ一つ気になることを片付けようとしても片付けていけないのが、生きることに疲れた状態である。
一般的にいえば、簡単なことを片付けるだけで気が楽になるのに、生きることに疲れたときにはそれができない。
小さなことを片付けないでいる事で余計に落ち込んでくる。
片付けようとして手をつけられば三分で片付く仕事なのだけれども、生きることに疲れているとそれができない。
気になりながら座ったままでいる。そして、新聞を読むとか、テレビを見るとか、自分が楽をするところにひき付けられる。
もっと疲れてくると新聞を読む気にもならないし、テレビを見る気にもならない。
開けなければ生けない封筒の封を開ける気にはならない。明けて処理すればすぐに済むことなのだが、封を切る気にならない。
それが生きることに疲れた状態である。
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アイちゃんこの頃俺変だ
2007年01月18日 (木) | 編集 |
何が変なのユウくん?
俺今日何があったかニュースを見るのが日課なんだけどこの頃ニュースを見ると殺人事件ばかり聞いているから物凄く気持ちが悪くなってくる
そう聞くのも嫌になるよねユウくん
そうだよもっと明るい話題はないのかほんとに独り暮らしには毒だどぉ
ってことで心の病スタート

私はどうしていつもこのような目に合わさなくてはならないのですか」
イソップ物語ふうに考えてみると人間の愚かさがよく分かるので、イソップ物語風に考えてみたい。
「私を認めて欲しい」といつも思っているうさぎがいました。
今日も何をしていいのか分からないウサギは、サルと羊に誘われるままに同じように歩き出しました。
道中、サルと羊と同じような気分になれることで楽しい時もありました。
ところが道が二つ分かれるところで、サルが、「この先から、私はこちらの道に行きます。この先に私の大好物の果物の木がありますから」
といって別れていきました。
ウサギは突然な事でどうしらいいのか分からなくなりました。
ウサギは突然な事でどうしたらいいのか分からなくなりました。でも自分には羊がいると思うと少し安心しました。
しばらくすると夕方になりました。羊は「ウサギさんはどこまで行くのですか?私はこの野原でしばらく休みます。
もうしばらくすると友達が来ますからその友達と美味しい草の生えている草原に向かいます」とウサギに言いました。
ウサギは、またまた突然言われて驚きました。自分はこの道を選んだのはサルと羊がいたからです。
どんどん日が落ちて当たりは暗黒の闇になってしまいました。
誰もいない草原でウサギは星に向かって言いました。「私はどうしていつもこのような目にあわなくてはならないのですか?」
友達が大学に行くから自分もいこうと考える。そしてなんとなく大学に行く。
親が有名な会社に行けというからその気になる。皆が偏差値の高い大学がよいというからその気になって、努力する。
でも年をとって機がついたら周りに誰もいない。生きることに疲れた自分は何がしたいかも分からない。
生きることに疲れたときに初めて気がつく。有名大学を卒業したという事で得意になっていたり、大きな会社に入れたと考えて安心していた自分は何だろうと。
「私はどうしていつもこのような目にあわなくてはならないのですか」という質問の答えは、「自分はこう生きよう」とかんがえることがなかったからである。
人に認めてもらいたいという事ばかりに機を取られて生きてきたからである。
ウサギは今日はとにかくゆっくりと眠る事である
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ユウくんこれからどうなると思う?
2007年01月14日 (日) | 編集 |
ん~アイちゃんをゲットしたいなぁ
ユウくん意味が違うよこれからの世の中のことよ
これからの世の中かぁ ン~難しいなぁ でもこれだけは俺にもわかる
自然の逆襲がもっと激しくなるはずそれに社会も欧米のように殺伐とした事件が増えるはず嫌~な世の中になあるかもなぁ
そうかあぁ嫌な世の中ね ユウ未来は変えられないの?
人間全員がおごりを捨てて明るい未来にすると誓えば変わると思うけど
そうよユウくんの言う通りかも ほんとたまにはまともなこというのね
そうだよスケベは地球を救うだ!
それを言うなら愛は地球を救うでしょ!鞭でしばくよ覚悟しなさい!
う~久しぶりの鞭なのだぁ
てことで冗談はこれぐらいにして心の病ホナスタート

死から逃れる気力さえない
生命力が低下してしまった人は、あまりにも多くの悲しみや苦しみを心の底に堆積し続けて生きてきた。
孤独や不安や息詰まる緊張に耐えた長年の疲労が頂点に達しているのである。
長年にわたって時間に追われ、焦り、緊張して生活してきた。幸せを、感じる能力はすでに麻痺している。
もう何を言われても動けない。長いトンネルの先に明かりは見えない。
生命力の豊かな人は晴れた日に散歩をすれば気分がいい。
しかし生命力の低下して人に、「散歩でもしてきたら」というのは無慈悲である。
生命力の低下した人には散歩に出ようとすること事態がきつい。
そして気分の良さを味わう能力そのものを失っている。うつ病者が何もしないでいることの原因についていろいろと解釈される。
例えば悲観的に物事を解釈するからであるとか、否定的に物事を見るからとか。
うつ病者は将来を悲観的に解釈するから、何かを今する気が起きないのだとか、うつ病者は自分自身をダメな人間と解釈するから、
何かを今する気が起きないのだとか、うつ病者は自分の条件をマイナスに解釈するから、何かを今する気が起きないだとか言う。
おそらくそれらの解釈は部分的には当たっているだろう。
しかしうつ病者が何かを今できないのは、基本的に生命力がおとろえているからである。
そのままにしていれば死んでしまうというときに生命力の豊かな人は逃げる。生き延びようとする。
しかし生命力の低下した人は逃げない。もう逃げる気力がない逃げる気力がないからそのまま死を選ぶ。
死を選ぶというより、選択する気力もなく、死んでいく。
生命力が衰えているという事は、「もう生きなくてもいい」のである。
もちろんできれば生きたい、しかし誰かが助けてくれるのでなければもう生きてはいけない。
生きることに疲れた原因を考えてみる
なぜそこまで生命力が衰えてしまうのか。それはあまりにも能力オーバーのストレスにさらされ続けて生きてきたからであろう。
人は戦場のストレスは理解する、実際には理解できなくても、もの凄いストレスだというに理解を示さない人はいない。
食料難の時代の苦しみは理解する。寒い時に着るものがないことの惨めさは理解する。
長いこと食べるものが泣く、寒さに耐えていたら生命力が衰えていくという事に、「そんな馬鹿な」という人はいない。
しかし本性に逆らって生きることのストレスには理解を示さない。
たとえば、もしヘビが、生まれた時から真っ直ぐな竹筒に入れられて成長したらどうなるだろう。
へびの生命力はなくなるではないだろうか。食べるものがないのも苦しいが、本性を否定される事もストレスである。
そしてそれがどうしようもないと思ったときにその人の脳は変化を始める。
「長いこと本性を否定されて生きてくれば、生命力が衰えて当たり前なのである」
生きることに疲れた人は具体的な困難で疲れたのか、それとも本性を否定されて疲れたのか、あるいは現実を受けいられないから頑張りすぎたのか今一度反省する事である。
もし貴方が現実を受けいられないから頑張りすぎたなら、生きることに疲れたこの機会に反省する事である。
そして自分の限界をを受け入れることである。
もし周囲から自分の本性を否定されて、生きることに疲れた場合には、回復にはそれなりの時間がかかる。
さらに周囲人に理解を求めても理解を得るのは難しいかもしれない。
あるいは今まで「私はこれをしたい」というものが一つもなく生きてきたのでないか。だとすればそのことも反省する機会である。
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アイちゃん正月ボケが取れんどぉ
2007年01月07日 (日) | 編集 |
ユウくんまだ正月気分でいるの?
そうこのまま永遠に休みだったらいいのになぁ
ユウくんそのままだったら豚みたいになるわよ
そうかスリムでいるには動かないといかんわなぁ
てことで心の病いきますか
ホナスタート

他人に思いやりがもてない
うつ病者はさらに罪悪感に苦しむ。
「患者は彼の存在が彼の当為に対して恥ずべき事である事を。うつ病者という拡大しゆがめる虫眼鏡の下で見出すのである。」
この点が自己実現している人とうつ病者の決定的な違いである。自己実現している人は、自己実現の研究者マズローによれば、実現をありのままに受け止めるという。
自分という存在は。「この存在と当為との間の隔たりはあたかも深淵のように体験され、経験される」。
当為と存在の緊張は、「うつ病 この生の引き潮によってあらわになる」。
うつ病が原因であって、存在と当為との間の緊張がうつ病の原因ではない。
引き潮で暗礁が現れても、引き潮の原因が暗礁ではないと実存分析のフランクルは言う。
うつ病とは生の引き潮の事である。引き潮が進むにつれて暗礁は大きくなる。
生命力に満ち溢れている人には、この「存在と当為の」暗礁はまったくないといっていいほど表れない。
しかし表れないからといって良心がないわけではない。
「存在と当為の」暗礁に苦しむ鬱病者よりも、はるかに他人への思いやりはある。
うつ病者は自分の心の葛藤で精一杯であるから、他人への思いやりなどない。
それに比べて生命力のある人々は他人への暖かい思いやりを持って生きている。
他人の心の井谷に無関心でいられない。生命力のある人々は自己執着の強いうつ病者に比べれば、心理的には無の状態に近い。
自分のことよりも他人のことを考える。しかもそれらの行動が義務感でなく温かい愛情から出ているのである。
「あるべき自分」と「現実の自分」の乖離には悩まないが人々とのコミュニケーションが出来、他人と一緒に楽しく生きられる。
生命力低下自体の生み出すものは、まさに漠然とした不全感情に過ぎないのであるが、この病気に見舞われた当の人間、ただはらを射抜かれた猛獣はい逃げるばかりでなく、その不全感を彼の良心、彼の神に対する罪として体験する」
元気を出せは生きる気力を奪う言葉
うつ病を生命力の低下と理解できないと、うつ病者に接する態度を間違える。
例えば普通の人はうつ病になるような人に接すると「元気出せよ」となってしまう。
罪悪感に苦しみ、生命力の低下した人にこの言葉はきつい。
いよいよ生きる気力を失わせる。うつ病になるような人は生命力が低下しているから、何かを要求される事が辛いのである。
もう何十年も「元気を出さなければ」と義務感で「元気」を装ってきた。そうしてきを張っているのが限界になったのである。
そこにはさらに周囲の人から「元気出せよ」などといわれたら、いよいよ生きる気力がなくなる。
いよいよ死にたくなるのは当たり前である。
生命力の低下した人には、生命力の高揚した人の生活様式や価値観や言動はきついのである。
だから生命力の豊かな善意の言動が、いよいよ生命力の低下した人を追い込んでしまう。
生命力に豊かな人は生命力の低下した人の心の傷に塩を塗るような事をよくする。
塩を塗って治ればよいが実際には傷口を広げるだけで、治療効果がないばかりか、傷を悪化させる。
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アイちゃんもう正月おわったね
2007年01月04日 (木) | 編集 |
ユウくんどこかに行ったの?
神社にいっただけ他にはないどぉ
何をお願いしたの?
それはアイちゃんが今年こそは俺の相手してくれますようにと祈願したよ!
ま~それは永遠に無理かもねユウくん
そうかなぁ初夢ではアイちゃんは相手してくれたのになぁ
夢は夢よユウくん
あ~神様来年こそ実現しますように
てことで心の病スタート

目的がないから心は空虚
又打つ病者の感情として、これらのほかによく言われるのが、「立ち上がれないのである」
それは人生の目的がなくて、周りから振り回されて生きてきたからであろう。
自分の人生のに目的があってがんばってきたなら、失敗しても「たちあがれない」という気持ちにはならない。
たとえ失敗しても自分の人生を生きたという充足感はある。社会的に成功しながら、ある年齢でうつ病になる人がいる。
俳優として成功したり、司会者として有名になったりしても、おそらくそれが自分自身の目的ではなかったのだろう。
そういう人は社会的に成功しながらも心の底に深い絶望感があるに違いない。
社会的に成功し、有名になりたいのは、愛を求めているからである。
そして有名になりたかったから、有名になったことで嬉しかったであろう。しかしその人の本来の仕事は例えば司会者ではなかった。
だからある年齢になるとうつ病になるのである。
司会そのものが隙であれば、テレビに出られなくても、楽しい仕事は見つかるであろう。
しかし司会そのものが隙でなく、テレビで有名な司会者になる事が目的であれば、テレビの仕事が終わった時には、跡に何も残されていない。自分自身の目的がなくて長いこと生きてきたから、心の中が空っぽなのである。
医者になったのも、部長になったのも自分の目的ではない周囲のなんとなしの期待からそうなっただけである。
望みそのものがその人自身のものではなかった。
うつ病になるような人は永いこと頑張って生きてきたが、振りかえってみれば自分の心の中は空っぽなのである。
底には達成感も満足感も連帯感もない。まさにうつ病者は空虚そのものである。
外側がどんなにきらびやかであっても、うつ病者をあらわすのはフロム・ラインヒマンが言うように「空虚と憎悪」である。
自分自身の目的を持った場合には、それが手に入らなくてもうつ病者になることはないのではないだろうか。
そこには努力したあとの心の満足感がある。そして周囲とのコミュニケーションができる。
疲れているのにイライラする
生きることに疲れたあなたは、今までとは違って何をやっても無意味感に苦しめられる。
生きることに疲れたあなたは何事にも興味を失っている。
じつは、今までも自分がしている事が好きだったわけではない。
周囲の人からの賞賛を得ていたからエネルギーが沸いていただけである。
生きることに疲れたあなたは、今気力が減退しているのに落ち着かない。
いろいろなことにイライラしている。疲れているのに何でそこまでイライラするのだろうか。
その理由は二つある。一つは自分に満足していないからである。
もう一つは心の底の無意識の領域に憎しみがあるからであろう。
テーマ:( -_-)旦~ フゥ
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アイちゃんおめでとう
2007年01月01日 (月) | 編集 |
ユウくんおめでとう
アイちゃん今年こそ相手してよ
ユウくんチャンと相手してるじゃない
違うよアイちゃん男と女の関係を言ってるんだけど!
それは無理ね!私の理想はハリウッドスターとの恋愛だから
それじゃあ永遠に無理じゃない
だから無理だと言ったでしょ!
アイちゃんいつになったら目が覚めるんだろう まっいいか
てことで心の病続きだよ
ホナスタート

相手への愛着と怒りが同時に発生している
打つ病者は「さっぱりしない、心が晴れ晴れしない」とも言う。
それは幼児的願望があるから。つまり幼児的願望を満たそうとして、相手に絡みつく、しがみつく、まとわりつく、拗ねる。
絡まれた側から見れば、打つ病者はシツコイ、くどいなどと思うだろう。
打つ病者になるような人は、いつも何かにしがみついていないといられない。
おぼれそうになっているものが、浮き輪にしがみつこうとするように、うつ病になるような人は、心理的に溺れそうになって、何かにしがみついているのである。打つ病者になるような人に、自分を無にしろといっても、それは難しい。
溺れそうなものに、「浮き輪にしがみつこうとするな」というようなものである。
それよりも貴方は溺れそうになっていないのだという事を理解させる事である。
それよりも貴方は溺れそうになっていないのだということを理解させる事である。
後で述べるが、憎しみの感情を吐き出させることである。感情が爆発すれば台風一過で晴れ晴れする。
しかし打つ病者はなかなか感情を吐き出せない。感情が爆発しようにも、感情自体が矛盾している。
心の中では不安と相手への愛着と怒りが同時に発生している。「いつもが心が曇った感じ」とも言う。
感情併存で、自分の感情に自分が対処できないからこう感じるのであろう。そして長い間の心の葛藤から来る緊張で、いきることにつかれてしまっている。
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