適当にしますかぁ
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アイちゃん寒いどぉ
2006年12月29日 (金) | 編集 |
く~雪がつもったぁ外にでられわぁ
初雪ねユウくん
ん~今年は雪なんか降らないじゃないかというぐらい暖かかったもんね
そう私も今年は雪見られないじゃないかと思ったわ
アイちゃんもかぁ 環境破壊が原因だもんね
そうゴミはちゃんと選別しなさいよユウくん
はいアイちゃんてことで心の病の続きいきますか
ホナスタート

「励ましは逆効果」
外を散歩したのでは憎しみの感情が表現できない。
憂鬱になっている人が一番切羽詰っているのは、心の憎しみの表現なのである。
それが憂鬱な顔をしてじっと座っている事なのである。
普通の人が憂鬱な人を元気にしてあげようとする言動が、逆に憂鬱になっている人をさらに追い込んでいく。
励ます人の意図とは逆に、その人をもっと憂鬱にしてしまう。
それは、じっと座って細々としている感情表現を止めさせるアドヴァイスだからである。
だから「元気出せよ」というアドヴァイスが逆効果しか表さないのである。
憂鬱な人は具体的に気が晴れる方法を聞いているのではない。
憂鬱な人は気が晴れるために具体的に何をすればいいのかを聞いているのではない。
自分のやりきれない気持ちを聞いて欲しいのである。そのやりきれない気持ちをくみとって欲しいのである。
よく不登校の人を励ましていけないというアドヴァイスがなされる。
その通りなのであるが、なぜ励ましていけないかという理由が説明されていない。
大切なのはその人の無念の気持ち、悔しさ、憎しみの感情をくみ取ってあげるという事なのである。
彼らは「私を愛して」と叫んでいるのである。それなのに愛してくれないから憎んでいるのである。
例えば不登校であれば、学校に行かないことによってその子が何を表現しているのかという事を考える事が必要である。
それを考えないで、単に「何も学校に行く必要はない」とか、不登校生徒を集めて学校のようなまねをするとかいう人が出てくるのはおかしな話である。学校には行ったほうがよい。
打つ病者の感情として抑うつ感情のほかによく言われるのが、「もの悲しい」という感情である。
「もの悲しい」のは外に向けられるべき攻撃性が自分に向けられているからである。
さらに「すべてがダメ」という感じ方である。これはまさに生きる気力がなくなっていることを表している。
生命力が低下した事を表している。何か特定の具体的なことが出来ないというのではない。
生きることそのことが出来ないのである。うつ病になるという事は、生命が干からびてしまったような状態である。
うつ病の感情としてほかに「打ちのめされた」という気持ちもよく言われる。
これは自分の感情を表現できていないからである。感情のはけ口がないから、こういう感じ方になってしまうのである。
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アイちゃん今日はイブだよ
2006年12月24日 (日) | 編集 |
クリスマス

アイちゃんなんかおくれ
いやだ
じゃあ体だけでもいいから
ユウくん余計いやよ
そこをなんとかアイちゃん
他の人を探してよ
何今頃から無理だよぉ
じゃあ諦めなさいユウくん
あ~神様来年こそクリスマスプレゼントがありますように!
アイちゃんバテ気味だよ
2006年12月20日 (水) | 編集 |
御疲れみたいねユウくん
そう誰も言ってくれないからね
御淋しい事よね
そうかもねってことで今日も続き行きますか
ホナスタート

「憂鬱になってじっと座っている事が」唯一つの感情表現
憎しみを表現できない不快感が積み重なり、それがいつしか憂鬱に変化する。それがどうすることも出来ない憂鬱の感情である。
憂鬱は愛を求めている叫びであるが、同時に表現されない憎しみの感情である。
憂鬱な感情に苦しめられている人が、晴れ晴れしないというにはそのためである。
愛を求めつつ、憎しみを持つ。憂鬱はまさにうつ病の感情的特長である。
憂鬱になっている人は愛を求めているのである。「苦しいね」「辛いね」と優しくいってくれる人を求めているのである。
それを普通の人は憂鬱になっている人を見て「善意」から励ましてしまう。
「今日は晴れているからジョギングでもしてきたら」といってしまう。
しかし憂鬱になってじっと座っている人は愛を求めているので、スポーツをして汗を流す事を求めているのではない。
普通の人はスポーツをして汗を流せば気分爽快になる。
それは心に憎しみがないからである。
憂鬱な人は、「なぜ自分だけがこうなんだ」と言う無念の気持ちをくみ取ってくれる人を求めているのである。
憂鬱になってじっと座っている人だって、好きこのんでじっと座っているだけではない。
どうにもならなくて座っているのである。動こうにも動けないのである。
憂鬱な人にとって、憂鬱になってじっと座っている事が一番楽なのである。
それは憂鬱になっている事で,一番感情表現ができているからである。
憂鬱な人は感情表現が出来ない人である。じっと座って憂鬱顔をしている事が憂鬱な顔をしている事が憂鬱な人の感情表現なのである
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アイちゃん書く暇がないよ
2006年12月17日 (日) | 編集 |
ユウくん休みの日に投稿すればいいじゃない
ん~でも疲れているからね~集中できないや 休み書くかぁ
てことで今日も続きだよ

自分がないから振り回される
うつ病になるような人は、愛着と怒りが同時に発生し、怒りや憎しみに感情を処理できないまま、感情的に八方塞がりになっている。
自分がどう言う感情を持っていいか分からなくなっている。
幼児的願望が満たされていないから、周囲の人に愛着があり、離れることには不安がある。かと言って憎しみはある。
そういった、にっちもさっちもいかない心理状態が、次のような言葉になって表れるのではないだろうか。
「目の前に壁が立ちはだかっているような気がする。心に隙間風が入ってくるような気がする、ぽっかり心に空洞があいた感じ」
「二日酔いの不快感である。要するにこれは自分がなくなってしまったということである。
自分の中で統合性が失われ、自分でも自分が分からなくなり、自分を感じられなくなっている。
自分の人生の目的がなくて周りから振り回されてしまったから、自分がなくなってしまった。
幼児的願望が満たされないで、傷つき続けて、訳の分からない憎しみを持ってしまった。
憎しみの上に、さらに自分の人生を生きてこなかったという悔しさ、虚しさ、孤独感がある。
人のためだけに生きたきたというやりきれなさ。
自分の人生の目的を持っていないと、周囲の人がその人を振り回そうとしなくても振り回されている。
ましてその人を利用しようというようなずるい人が現れたときには、いいように振り回されてしまう。
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アイちゃん久しぶり
2006年12月10日 (日) | 編集 |
いやぁホント久しぶりねぇ
ン~忙しいのかどうか分からんどぉ

自分が無いから人に振り回される
うつ病になるような人は、愛着と怒りが同時に発生し、怒りや憎しみの感情を処理できないまま、感情的に八方塞になっている。
自分がどういう感情を持っていいのか分からなくなっている。
幼児的願望が満たされていないから、周囲の人に愛着があり、離れる事には不安がある。かと言って憎しみはある。
そういった、にっちもさっちもいかない心理状態が、次のような言葉になって表れるのではないだろうか。
「目の前に壁が立ちはだかっているような気がする心に隙間風が入ってくるような気がする、ぽっかり心に空洞があいた感じ」
「二日酔い」の不快感である。要するにこれは自分がなくなってしまったということである。
自分の中の統合性が失われ、自分でも自分がわからなくなり、自分を感じられなくなっている。
自分の人生の目的がなくて周りから振り回されしまったから、自分がなくなってしまった。
幼児的願望が満たされないで、傷つき続けて、訳の分からない憎しみを持ってしまった。
憎しみの上に、さらに自分の人生を生きてこなかったという悔しさ、虚しさ、孤独感がある。
人のためだけに生きてきたというやりきれなさ。
自分の人生の目的を持っていないと、周囲の人がその人を振り回そうとしなくても振り回されてしまう。
ましてその人を利用というようなずるい人が現れたときには、いいように振り回されてしまう。てことでホナスタート
アイちゃんパソをする頭痛がするよ
2006年12月03日 (日) | 編集 |
アイちゃんパソコンは脳で使っている場所が違うのかなぁ
3時間こえると頭痛がしてくる
ユウくん目が疲れるから頭痛がするんじゃないの
それも言えるかもどうしたらいいんだろう?
わからんなぁ まっいいか
じゃあ今日も続きスタート

頑張ることに力尽きた「燃え尽き症候群」
うつ病者ばかりではない。燃え尽き症候群の人も同じである。
長いこと無味乾燥なことをしてきたのである。ただ頑張ることだけで生きてきた。
燃え尽きたということは、「すべてが嫌になった」ということであろう。
もうその無味乾燥な仕事をすることに耐えられなくなったのである。力尽きたのである。
燃え尽き症候群の人は、不安から逃れるため無味乾燥なことをして生きてきた。
しかし、今はもはや不安で逃れる気力さえなくなった。あまり寒い時、肉体的に感覚がなくなる。それと同じである。
うつ病になるような人や燃え尽き症候群の人は心理的に麻痺したのである。
もはや嬉しいとか、悲しいとかを感じる能力は残ってはいない。
元々燃え尽き症候群の人にしろ、うつ病になるような人にしろ、その人自身の中にエネルギーがあるわけではない。
ただひとに認めてもらえない不安や恐怖で動いていただけである。だからいつかは倒れる。
孤独の恐怖があるからこそ無味乾燥なことも耐えられた。
その無味乾燥なことをするのも、それをしなければ独りぼっちになると思うからである。
その不安があればこそガンバッテしてきた。しかしそれにも限界がある。
供給されるエネルギーがなくて、ただ恐怖から頑張るだけではいつか力尽きる。
そんな状態が続けば、ストレスから脳がおかしくならないほうが不思議である。
彼らは食料の補給路のない前線部隊のようなものである。どんなに頑張って前線で戦い続けても、いつかは力尽きる。
ストレスにさらされ続ければいつか心は壊れる。
うつ病になるような人や燃え尽き症候群のひとには、もともと「したいこと」などなにもなかった。
「したくないこと」しかなかったのである。しかしその「したくないこと」をしなければ、恐ろしい孤独が待っていた。
周囲からの蔑視が待っていた。「追放」という恐怖があった。
軽蔑されることも、嫌われることも、仲間から追放されることも怖かった。
だから来る日も来る日も「したくないこと」をし続けるうちに、ストレスから脳がダメージを受けても何も不思議はない。
うつ病になるような人や燃え尽き症候群の人の周りにはずるい人が集まっていることが多い。
うつ病になるような人や燃え尽き症候群の人は、周囲の人から不愉快な顔をされると、怯えてどんな嫌なことでも
疲れた体に鞭を打ってしてしまう。彼らは周囲の人から責められて生きてきた。
従って大人になった時には、責められていなくても責められていると感じてしまうようになっている。
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